まかせて通信134号2009.12.15発行
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■天皇・皇后両陛下が飯田市・阿智村へ■

11月16日から18日にかけて、天皇・皇后両陛下が長野県飯田市および隣の阿智村を訪れました。公式行事を入れない、あくまで天皇の意向に沿った私的旅行という位置づけでしたが、沿道には沢山の住民が出迎えました。ご高齢のために、公務を減らしているというニュースがありましたが、なぜこの時期に飯田市および阿智村を訪問されたのでしょう。名勝天竜峡や、飯田市のシンボルりんご並木を散策されたりしましたが、メインは阿智村にある満蒙開拓平和記念館を訪問したかったようです。その姿に感激された方も多かったと聞いています。


■ 満蒙開拓平和記念館とは… ■

満蒙開拓平和記念館には、戦時中、国策により、満州や内モンゴル自治区へ開拓団として入植したひとたちの記録が保存されています。昭和初期の大恐慌以降、全国の農家の二男、三男は、口減らし及び満州建国の理念のもと今の中国東北部へ入埴していきました。しかし、1945年の終戦によりソ連軍が攻め込んできて、日本に帰れなかったり集団自決や行くえ不明になった方々が沢山いました。全国から約27万人が入植しましたが、長野県からは最多の3万余の人が満州や内モンゴル自治区へ渡ったそうです。それらの事実を後世に伝えるために同記念館が平成25年に建てられました。
そして、現在の同記念館の近くには、長岳寺という小さなお寺があります。


■ 山本慈照和尚と中国残留孤児の肉親探し■

阿智村長岳寺の和尚、山本慈照(じしょう)もまた満蒙開拓団として満州へ渡った一人でした。所属していた阿智郷開拓団215人のうち、帰国できた者は山本を含めわずか13人しかいませんでした。戦後、山本は、中国に生存している残留日本人孤児の存在を知り、生涯を残留孤児と日本にいる肉親との再会に尽力しました。地道な努力が実を結び、ついに日本の厚生省をうごかし、1981年から中国残留孤児たちの集団訪日調査が開始されることになりました。
今50歳を超えている人なら、1980年代テレビニュースなどで毎年、残留孤児と肉親の感動的な再会の場面が流れていた事を思い出すと思います。山本慈照のものがたりは、NHKのプロジェクトXで取り上げられたり、映画「望郷の鐘 満州開拓の悲劇」(2015年)などで広く知られるようになりました。


■ 開拓団開拓団を送りこまなかった村もあった ■

昭和恐慌から太平洋戦争開戦の時期に、国策であった満蒙開拓を拒否した村もいくつかありました。当時、開拓団員を1人送りこむと、村に補助金がでる制度があったそうですが、拒否したということです。そのひとつの村(現在は合併して市ですが)に私はいま、住んでいます。私の故郷の村も昭和恐慌で絹の値段が大暴落したのを受けて、村の財政は破たん寸前、農家は借金で生活が立ち行かなくなる人が多く存在しました。私の村は、当時一部で広がっていた「禁酒村」運動を始めました。
禁酒村とは、農村の自力更生、経済更生のために、全村民が酒を飲む習慣を辞め、酒を飲むお金を税金で納め、財政を健全化する手法をとった村の総称です。昭和8年の新聞に、全国の10ケ所の禁酒村の村長さんが、東京に集まって会合を開き、首相官邸を訪れたという記事もあります。
私の故郷の村の村長さんもその10ケ所の一人として参加しています。


■禁酒村の功績■

記事によると、禁酒村発祥の地、石川県のある村の村長さんが、功績を次のように述べています。①病人が5割減った ②ほとんどなかった貯金が5 年間で3萬円できた ③伝染病が皆無となった ④訴訟、喧嘩がなくなった ⑤犯罪が皆無となった などとあらゆることが良いと説明したそうです。
私からみると、禁酒によって財政を健全化→政府の補助金に頼らなくて良かった→農家の二男・三男が満州へ入植する必要がなかった→集団自決・残留孤児などの悲劇に合うことがなかった、という論理になります。確かに私の故郷の村では、誰かのおじいさん、おばあさんが、むかし満州へ開拓団として行ったという話をほとんど聞きません。


■ 地元への誇り■

私はこの禁酒村の歴史を知ってから、自分の住んでいる場所に誇りをもてるようになりました。また、このたび天皇・皇后両陛下が満蒙開拓記念館をわざわざ私的旅行で訪れたと言うことが郷土の偉人、山本慈照(故人)の再評価につながると大変感動した次第です。


■ 2016 年もあとわずか■

今回は、ポスティング事業とは直接関係のないことを書きましたが、皆さんにもなんらかのヒントがあればといいなと思います。自分の住んでいる所や、故郷の歴史を紐解いて、誇りを持てる史実に出会えるといいですね。2016 年もあとわずかです。配布員の皆さんにはどのような年だったでしょうか?当社では、本社移転、まかせて松本移転、まかせて多治見オープン、FC 店まかせて宮崎閉店など多くの出来事がありました。会社全体としては、事業拡大の方針で今後も発展基調にあります。これからも引き続きよろしくお願いします。












 2016年11月20日現在 (有)ペーパー・シャワーズ 代表取締役 村松昭文

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